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turbo717's Activity 

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ワット・ヤイ・チャイモンコン

アユタヤ_ワット・ヤイ・チャイモンコン_story(429) 2006.3.1

タイのアユタヤ県に行ってまいりました。気温36度 かんかん照りでした。

タイは国土が日本の1.5倍ですが、山がなく、ほとんどが平地ですので、
日本は平地が30%であることから約5倍の平地面積を持っていることになります。アユタヤ県は農業が盛んで、特にタイ米 の一大産地です。北部はモチ米ということですが。1リットル16バーツ(約50円)で、ジャスミン米は22バーツ(同70円)ということでした。

さて、アユタヤは、
スコタイ王朝(800年)→アユタヤ王朝(1350-1767 417年間)→トンブリ王朝(15年)→現ラマ王朝(250年)という変遷の中で、
ちょうど中位にあたり、繁栄した都です。バンコクから北に80kmの地点で、チャオプラヤー川(Chao Phtaya Riv.)に接しており、支流のパザック川(Pasak Riv.)と、オールドロップリー川(Old Lopburi Riv.)に囲まれています。

ここでの世界遺産とは、古代都市アユタヤと周辺の古代都市群を指します。

アユタヤは1350年、ウートン王によって開かれ1767年ビルマ軍の侵攻で壊滅するまでの417年間に亘って王都として繁栄しました。
500箇所の寺院のうち38箇所が世界遺産に指定されています。

日本人町跡があり、1600年当時は1500人の日本人がここに住んでいました。
タイ語をあやつり、朱印船貿易に携わった人たちです。1619年には山田長政が日本人町頭領になりました。権益拡大を競うヨーロッパ商人と摩擦もあったようです。1630年10月死去。日本人町はその後すたれ、すっかり忘れ去られましたが、1990年に日タイ友好100周年を記念して日本人町歴史センターがオープンしました。



(Wat Yai Chaimongkon)
ワット・ヤイ・チャイモンコン(Wat Yai Chaimongkon)



ワット・ヤイ・チャイモンコン(Wat Yai Chaimongkon)は649年前、1357年、初代ウートン王がスリランカ留学から戻った僧のために建てた寺院です。
パザック川(Pasak Riv.)の東側にあり、日本人町に近い場所にあります。






絵はワット・ヤイ・チャイモンコン(Wat Yai Chaimongkon)(北330° am11:09)を描いたものです。


塔は戦勝記念塔で72mの高さがあります。1592年に20代ナレスワン王がビルマの皇太子との戦いで象に乗り片手で戦い勝利したことを祝勝記念として建造しました。

パゴタには、橙色の幕がかけられています。仏塔に中段に階段で上ることができます。こうもりが沢山住んでいました。先っちょが絵では、欠けていますが、横にその上の部分を描出しています。

黄色い像が、ご本尊の横には、誕生した曜日(七曜)を表す7つの仏像の前に油で灯る火があり、参拝客は油をかけて回ります。

壁が崩れており、歴史を感じます。

絵の下側に、タイ語で、ワット・ヤイ・チャイモンコン(Wat Yai Chaimongkon)と書きましたがわかりますか?・・・ぜんぜんわかりませんーー!!。





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